安部農園ができるまで〜農場主あいさつ


安部農園ができるまで〜農場主あいさつ〜

 私が師匠である高松求氏と出会ったのは、平成14年、大学3年生のときでした。

高松氏はいかに高品質で多収穫な農業技術を作り出すかを50年間常に考え続けてこられた篤農家(優れた技術を持つ農家の呼び名)で、過去に農林水産大臣賞や山ア農業賞を受賞したこともある方です。

もちろんであった時の私はそんなことは全く知らなかったのですが・・・。 (ここから先は高松求氏のことを私がいつも呼んでいるように『高松さん』と呼ばせていただきます。)

 私は神奈川県のサラリーマン家庭の出身でしたが、農業という仕事に漠然とした憧れを持ち、農業が盛んな県である茨城県にある茨城大学農学部に入りました。しかし大学での勉強は実際に食べ物を作るという現場の農業とは離れたもので、くすぶった思いを持ち続けていました。

そんな中で大学の付属農場の先生である小松崎将一先生に、親交のあった農家の高松さんのところへ連れて行っていただいたのが最初の出会いでした。 

現場の農業のことを知りたいと思っていた私はそこで高松さんにここに通 わせてもらって仕事を一緒にやらせてもらえないかと頼みました。

高松さんは快く引き受けて下さり、それから卒業までの約1年半、高松さんのもとに通 い続け農家の仕事を経験させてもらいました。 

高松さんのところで得た経験は、『いつか自分も必ず農家になりたい』と思わせられるような充実したものでした。

私は社会にでてしばらく経験を積んだら、どうにかして農家になってやろうと思いながら民間企業に就職しました。

それから約半年後、休日に久しぶりに高松さんのもとを訪ねました。

そのとき高松さんの口から出てきた言葉は、ご自身がもう今年一杯で農業をやめてしまうという衝撃的なものでした。

そのとき私の頭に『今が運命の時かもしれない』という思いがよぎりました。そして私はその場で高松さんに、私にやらせてもらえないかと申し出ました。なんと高松さんは私のその申し出を受け入れてくれました。

ですが、『決して楽な仕事ではないから、もう絶対後ろには戻らない覚悟ができ、退路をたてるならばきなさい。』とおっしゃり、後で改めて連絡することになりました。

私は普段は石橋を叩いて叩いて叩いてから渡るような慎重な性格だと自分では思っているのですが、何かのきっかけで気持ちが盛り上がると余計なことは一切考えずに突き進む面 があるらしく、翌日には会社に辞表を出しました。

 こうして平成16年12月に会社を辞めた私は、平成17年1月茨城県牛久市で農家になりました。

ただ、本格的に農業をやったことなどありませんでしたので急にすべてを自分でやるのは不可能だと思い、高松さんに1年間だけ引退を延ばしていただき私が研修生という形で一緒に仕事をしてもらうことになりました。

そして1年後、高松さんから教わったものを土台に、高松さんと周囲の方々から畑や田んぼや機械を借り受け、私の農場主としての生活がスタートし安部農園が誕生しました。

  現在は3年目に入り、いまだにわからないことだらけですが、高松さんが50年間続けてきた、常によりよい農業技術を生み出そうとする思いと志だけは決して忘れることのないよう、日々の仕事に取り組んでいきたいと思っております。

そして私の今の状況は、農家を農家出身でない者が引き継ぐという今後の日本の農業のあり方に一石を投じるような画期的な形態が高松さんの大変広い心により出来上がったものだと思いますので、それを裏切ることのないよう努力を続けてまいります。

そして私が作りだす作物たちによって、食べていただいた方々が一人でも多く食の喜びと農業の大切さを感じていただければ幸いです。       

安部農園  安部真吾

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